トラジのブログ

脱ニートしたい。1歩踏み出したい。変化を起こしたい。

出るニート 両親が結婚した年齢になる

こんにちわ、トラジです。

おかしいな私がまだ
実家に住んでるニートだなんて。

両親が30歳になる頃は
私が生まれているのにな~。

 

 

母が私を産むまでの話

母は朝の7時くらいに
陣痛で苦しくなっていたそうです。

下痢して全部出し切った後、
腸が中に何も無いのに何かを
出そうと動いている感じの
10倍以上の痛みだそうです。

 

難しい表現です。

私には想像できません。

 

朝8時くらいに祖父の車で
連れられ、病院へ行きました。
受付や着替え、身体測定に
書類書き、色々済ませた
その後直ぐに
分娩室へ行ったようです。

 

昼前から分娩室待機だったらしい

ずっと自分で歩いて行ったそうです。

助産師さんに

「分娩室へ行く時に
 箸を持っていってください。」

と言われて母は

「何故箸を持って行くんだろう。」

と思ったそうです。

入院患者用のメニューは
決まっていてその日は
たまたまとんかつだったそうです。

分娩室でとんかつを食べる時に
母は苦しい声で

「そ、ソースは
 ないんですか?」ハァハァ

「サラダに・・・マヨネーズ
 かけたいんですけど
 ないんですか?」ハァハァ

 と尋ねました。

しかし、助産師さんに

「ごめんなさいね、
 ソースはあるけど、
 マヨネーズはないのよ。」

と言われてしまったらしいです。

母は

「じゃあ、いい・・・です。」ハァハァ

と言ってサラダに
ソースをかけて食べたそうです。

食べて2時間したら、

「余計な物が
 出ちゃいけないので
 浣腸しますよ。」

助産師さんに言われて

母は

「じゃあ、食わすなよ!」

と、心の中で
突っ込みを入れたらしいです。

 

その後、全然私が生まれなくて

若い人の中から70過ぎの
ベテランが現れたそうです。

母が乗っている分娩台に乗って
母の頭の上に立ち
母のお腹を押したそうです。

その時にベテランが
スカートだったそうです。
母は上を見るとパンツが見えて
笑ってしまうので
できるだけ上を見ないようにして
私を踏ん張っていたようです。

 

出産は頭が出るまでが1番大変で
次の肩が2番、後は流れで
出るらしいです。

 

一本の物体を生むなら
男性でもイメージできますが、 
人間の形をしていて段階が
あるのは想像できないですね。

 

生んだ直後

母は

「男の子でしょう?」

助産師さんに尋ねたらしいです。

助産師さんは

「そうですよ。
 予想が当たりましたね。」

と答えたらしいです。

母は私がお腹の中にいる頃から、
エコー検査の時に
あまり詳しく性別を
聞かなかったらしいです。

「どっちでもいい。
 どっちでも問題はない、
 元気に生まれて来い。」

と母は思っていたそうです。

しかし、母は女の勘で

「男の子だろう。」

と思っていたそうです。

 

私が覚えている話

母のお腹がまだ大きい時に
テレビで仮面ライダーブラックを
見ていたそうです。

その中に登場した
バトルホッパーという
緑のバッタをモチーフにした
バイクが登場します。
その形をしたおもちゃの
電動バイクが欲しいと
母が直感的に思ったそうです。

 

病室へ戻る

夕方5時くらいまでゆっくりと
母は輸血されていたらしいです。

ストレッチャーに乗せられて
5時過ぎに病室へ戻ったらしいです。

父が職訓からその頃に帰ってきて
母と会ったそうです。

その後直ぐに祖父母が
会いに来てくれたらしいです。

 

 退院する頃の話

昔は生まれて直ぐの赤ちゃんは
血液型が分からなかったらしいです。

1週間後の退院する頃に
血液型がB型と分かるのですが

母が言われる前に

「B型でしょ。」

と言うとお医者さんが

「そうです。出産直後に
 性別も当てましたよね。」

と驚いていたようです。

それも母の女の勘で
分かったようです。

名前も事前に決めていたらしいので
同じ日に女の子を生んだお母さんと
一緒に私の名前を
呼んでいたらしいです。

その同じ日に生んだお母さんと

「またどっかで会えると良いね。」

と話した4~5年後に同じ幼稚園で
会うことになります。

その時の女の子と幼稚園の頃に
仲が良かったらしいというのは
また別の話です。

 

 

 

 

毎年この話を聞いている
はずなんですけど
詳しい所は覚えてないですね。

私が生まれた15:52に
公開したかったのですが
間に合いませんでした。

夕飯の仕度が始まる前に軽く
部屋に掃除機をかけてきますよ。

今日はこの辺で。

では、また。

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