トラジのブログ

脱ニートしたい。1歩踏み出したい。変化を起こしたい。

出るニート トイストーリー3が悲しくて見られない

こんにちわ、トラジです。

今回の記事は
私のおもちゃの考え方について
書きたいと思います。

 

 

 

映画の内容と私が重なる所が多くて悲しくなる

トイストーリー3では
おもちゃの持ち主のアンディが
大学へ進学する年頃になります。

アンディのおもちゃたちは
ずっと遊ばれておらず、
仕舞いっぱなしでした。

おもちゃたちは

「捨てられるんだ!」

「そんな事ない、何かの間違いだ!」

と揉めるんですよ。

 

私の家にもずっと遊んでいない
おもちゃたちが沢山います。

上映が始まった頃、私は大学生で
子供の頃のおもちゃを
放置状態だったので
心にグサッときました。

 

私のおもちゃたちも
トイストーリーの設定に
準じています。

「人前で動いてはいけない。」

「漫画やアニメなどの
 キャラクター設定は
 あるけどおもちゃ。」

私がこうしてPCの前に座り
ブログを書いている間に
私のおもちゃたちが
揉めているのではないかと
思うと悲しくなります。

 

おもちゃにとっての幸せは何だろうか

トイストーリー2では
おもちゃは子供に遊んでもらう事が
1番と思うおもちゃと、
おもちゃ博物館で大切に
保管・展示される方が
幸せだと思うおもちゃで
揉めていました。

 

私の家にあるおもちゃは
箱に仕舞われたり、
箱がないおもちゃはまとめて
大きなケースに詰め込まれたりして
全く遊んでいません。

飾っても埃をかぶって
しまうのを見ると悲しくなります。

いっそのこと売ってしまった方が
おもちゃにとっては
幸せなのかもしれません。

遊んでくれない私の所にいるよりも
もっと大切にしてくれる、
遊んでくれるマニアの元へ
行った方が良いのかもしれません。

 

私のおもちゃは
何も答えてくれません。

「トラジロウはどう思う?」

トラジロウも答えてくれません。

 

新しく来たバンブルビーは私の部屋を見てどう思うのか

 防虫剤の入った大きな
ビニール袋に詰められた
だいぶ上の先輩おもちゃたち、
少し上の先輩おもちゃは
箱に仕舞われビーの立つ
棚に収まっています。

 

ビーは

「トラジは新しいおもちゃを
 買ったら僕を箱に仕舞って
 新しいもちゃを
 ここに飾るんだろうなぁ。」

 と思うのでしょうか。

 

それでも私のそばにいて欲しい

 おもちゃからして見れば、
時間と空間を共有できて
いるだけでは足りないのでしょうね。

私は思い出のある
おもちゃを捨てられません。

でも遊んでもらえない
おもちゃは不幸なのかもしれません。

「私が一人暮らしを
 するようになったら
 このおもちゃたちは
 どうなってしまう?

 20年後、40年後、トラジロウは
 私のそばにいるのか?

 いられるのか?」

私は心の中で考え不安になります。

 

トイストーリー3の最後には
アンディが自分の
宝物であるおもちゃを
小さい女の子に1つずつ紹介して
譲ってしまうんです。

 

私にはできません。

そばにいて欲しい。

車に乗って去っていくアンディを
おもちゃが見送る姿を
思い出すだけで
涙が込み上げてきます。

鼻水が止まりません。

 

誰か私にトイストーリー3の
ポジティブな捉え方を
教えてください。

 

 

 

 

 

 

自分自身を落ち着かせました。

結局何が書きたかったか、というと
大人になっても
おもちゃが捨てられない事と
トイストーリー3の内容が重なって
悲しいんだって事です。 

 

 トイストーリー4では
キアヌ・リーヴス
バイクスタントマンの
おもちゃ役で
声を充てるみたいですね。

 感動とか切ないとかではなくて
私は楽しくて面白い
トイストーリーが見たいです。 

 

俺がついてるぜ~♪と主題歌を
歌っていたのは 
ダイアモンド☆ユカイ さん
なんですね。

 ずっと唐沢寿明さん
だと思ってました。

 

 

 

 

 

今日はこの辺で。

では、また。

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